企業分野における「近」未来予想図:保険の虫眼鏡(第125回)

 「古い世界は死につつあり、新しい世界はまだ生まれていない。そのはざまで怪物が現れる」
 1月23日に閉幕したダボス会議において、ベルギーのデウェーフェル首相が引用したイタリアの思想家グラムシの言葉です(日経新聞1月24日)。破天荒なアメリカ第一主義という「怪物」の影が世界を覆う今、この言葉は日本の損害保険業界が直面している「地殻変動」の痛みをも冷酷に予言しているように感じられます。

「慣行(コンダクト)」の打破
 今、損保業界は、保険会社も代理店も「古い世界」を脱し、「新しい世界」に向かおうとしています。その動きは「損保の常識は、世間の非常識」とされる古くから続いた「慣行(コンダクト)」を打ち破ることで実現します。
 企業分野における保険会社の動きに焦点を合わせれば、「保険本来の価値」の提供ということになります。この裏には、「慣行(コンダクト)」である政策株式の購入、過度の便宜供与、出向者の派遣といった「保険本来の価値」ではない「別の形での価値」の提供を排除すべきとの認識があります。
 では、「別の形での価値」の提供が保険会社に利益をもたらしていたかというとそうではありません。むしろ政策株式のような機会利益の喪失や過剰な人員のように単なる利益の流出につながるものばかりです。保険会社は健全な収益構造を自ら放棄し、ひたすらマーケットシェアの向上を目指して持続可能性を度外視したシェア争奪戦を繰り広げてきたといってよいでしょう。
 そしてこの激烈な競争の中で、保険会社は「保険本来の価値」に関しても、これを毀損する行為に陥っていました。契約を獲得するための無理な条件設定、保険料のダンピング、ある保険の赤字を別の保険の黒字で穴埋めするという内部補助などです。今、これら、悪しき「慣行(コンダクト)」の打破が保険会社の大きな課題になっています。

「保険本来の価値」の提供がもたらすデメリット
 保険会社による「保険本来の価値の提供」は、冷静にみると、これまで保険会社が提供してきた「別の形での価値」の提供がなくなるという企業側のデメリットにつながります。いわば保険会社による企業への「補助金」がなくなるわけです。これが、企業への直接的な「補助金」であるとするならば、もう一つ、間接的な「補助金」が存在します。すなわちダンピング料率での引き受けや無理なキャパシティの提供などです。
 今、「保険本来の価値の提供」の旗印の下で、保険会社は、「本来あるべき料率や条件」を契約者に提示するようになっており、これが企業側に厄介な問題を引き起こしています。昨年12月10日に金融庁と経済産業省が連携して開催した第1回「企業のリスクマネジメント高度化に向けた検討会」の議事要旨と資料が1月9日に公表されました。この中で旭化成は現在の課題を「国内損害保険会社の提供キャパシティの削減と保険料の高騰」と指摘しています。
 これは、かつて1980年代半ばにアメリカで起こった「保険危機(Insurance Crisis)」の際の「Insurance Unavailability(保険入手不能)」と「Insurance Unaffordability(保険料高騰)」という二つの問題を思い出させるものです。今風に言えば、「プロテクションギャップ」です。これまでの様々な「慣行(コンダクト)」の下で、保険会社が繰り広げてきた不条理な競争が終焉を迎える過程で、保険会社は間接的な「補助金」の提供を停止し、そのツケが保険契約者に回ってきたというような状況が生まれているわけです。
 このようにみていくと「保険本来の価値」の提供は企業側に様々なデメリットをもたらす可能性があることが分かります。先ほど述べたアメリカの「保険危機(Insurance Crisis)」も、保険会社がキャッシュフローアンダーライティングという戦略的誤りによって巨額の損失を被った後の「アンダーライティングの正常化」の過程で生じたものでした。

プロテクションギャップの解消
 少なくともこれまでは保険会社の営業社員が取引先企業の様々なセクションに出入りし、個々のリスクに関するニーズを細かく受け止め、保険会社の本社部門をフル活用してソリューションを提供するというやり方が有効でした。保険会社の営業社員が企業のリスクマネージャーと保険ブローカーの役割を果たしていたといってよいわけです。そして、これに企業内代理店が乗合代理店として「比較推奨の機能」を発揮する形で関与してきました。
 しかし、国内の保険会社が顧客の求めるニーズに応えることができないというプロテクションギャップの問題は、保険会社の営業社員と企業内代理店の連携によって成立している企業のリスクマネジメントの限界を露わにする可能性があります。海外の保険会社の活用がなければプロテクションギャップの解消は不可能だからです。この結果、海外直接付保に関する規制緩和の動きが活発になることが考えられます。併せて、ついにこの国において保険ブローカーが大きな存在感を示す時代が到来するのではないでしょうか。既存の企業内代理店が保険ブローカーに転身することも考えられます。これは、企業分野が日本の常識から脱して世界の常識に代わっていくことを示しています。

「近」未来予想図
 すでに「慣行(コンダクト)」が支配する「古い世界」は壊れることが確実になりました。保険会社が「保険本来の価値」の提供という「新しい世界」に向かおうとする過程で、「怪物」の登場は避けねばなりません。その際の羅針盤は、やはり欧米における「常識」です。「日本の常識は、世界の非常識」というような事態が到来することは許されません。また、アメリカの「保険危機(Insurance Crisis)」のような社会的混乱を引き起こすことも許されません。いずれも「怪物」の形といってよいでしょう。
 保険の引き受け条件の正常化に伴うプロテクションギャップという痛みをどう解消し、いかにして時代に見合う損害保険事業者、すなわち、保険会社、代理店、そして保険ブローカーとしての態勢を構築するか、今、我々一人ひとりが「近」未来予想図を描くことを求められていると考えています。

日本損害保険代理業協会 アドバイザー
アイエスネットワーク シニアフェロー
栗山 泰史