保険システムよもやまばなし(第82回)
進むAI活用力!
先日(2025年9月25日)、日経新聞に「東京海上とオープンAI、自律型AI構築で連携 商品・施策立案で活用」とのニュースが報じられました。損害保険業界関連では最近暗いニュースが多いなか、久々に明るい話題に心躍りました。今回は、このニュースを起点に、進化著しい生成AIや大規模言語モデル(LLM)の損保業界での活用について触れてみたいと思います。
■損害保険業界でのAI活用状況
損保各社での生成AI活用は2023年ごろから始まっています。一般的に、AIの活用状況の進化は、次のように進むといわれています。
① 探索:ChatGPTなどを試し、効果やリスクを観察。
② 効率化:ドキュメント作成、社内FAQ対応などバックオフィスでの活用。
③ 業務プロセス統合:ワークフローに組み込み、部門横断で活用。
④ 業務変革:業務そのものをAI前提に再構築。
⑤ 新しい価値創出:これまでにない商品・サービス、顧客体験を創出。
これを踏まえれば、大手損保の取り組みは、①から始まり、②効率化を経て、現在は③統合に差し掛かりつつあるようです。ここから、④業務変革に進めるかどうかが、これからの勝負どころ。さらに、⑤新しい価値創出の段階に到達すれば、保険という枠組みを越えたサービスの誕生も現実味を帯びて来そうで楽しみです。
■損害保険業界でのAI活用度合い
損害保険業界でのAI活用度合いについて、もう少し踏み込んでみます。
評価にあたっては、Ali Arsanjani(アリ・アルサンジャーニ)氏が提唱する「生成AI成熟度診断」モデル(AI活用がどの段階まで進んでいるかをLevel 0?6の7段階で整理)を用います。
このモデルでは、 Level 0(データ準備) から Level 6(マルチエージェント高度化) までの段階的進化が示されています。
単にChatGPTを試すのを初期段階とし、次の段階では、社内に散在する約款やマニュアルを整理し、正本(公式な原本)を一元管理してAIに参照させるとしています。ここで重要なのがRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)です。これは、AIが外部データベースを検索して最新・正確な情報を引き当て、その結果にもとづき回答する技術で、より正確で信頼性の高い回答の生成を可能にする仕組みです。
このモデルに、損害保険業界の取組を当てはめると、
大手損保では、 Level 1?2(プロンプト利用・RAG活用) に始まり、事故査定や顧客応対への展開で Level 3?4(モデルチューニング・ガバナンス強化) を模索している段階にあると考えられます。今回の東京海上のニュース(OpenAIとの協業)は、Level 5(自律型AIエージェント) を見据えた具体的アクションの始動と見ることができそうです。
業界全体としては、RAGやチューニングを経てエージェント化に向かう過渡期にあり、これからの各社の動きがとても楽しみです。
■次のステップに向けて
これから各社がどのように取組を進めていくのか。上記を踏まえると、損保各社が今後強化すべき方向性は次の通りと思われます。
● データ正本管理とRAG基盤構築・整備(Level 2)
約款・マニュアル・FAQの「どれが最新で正しいか」を明確化し、AIが必ず正本を参照できる仕組の整備。(精度と信頼性の根幹構築)
● モデルチューニングとガバナンス強化(Level 3?4)
ドメイン(専門的)知識・経験の反映、出力の評価・監査、ログと説明責任の業務への組込。
● AIエージェント活用(Level 5)
商品企画?査定?顧客応対を連続自動化する“エージェント”の運用実現。
● 持続可能性と透明性(全レベル横断)
安全性・環境負荷・説明責任を経営KPIとして明示し、継続的改善推進。
■真正面からAI活用推進へ
各社のAIへの取組を見ていると、単なる時代の流行に乗った一朝一夕の取組ではないこと、各社覚悟を持って正面から取り組んでいることが認識できます。
● 第一:システム基盤の柔軟性確保
長年の基幹刷新(東京海上日動の「抜本プロジェクト」、損保ジャパンの「未来革新」、MS&ADのグループDXなど)により、ホスト依存からオープン系・APIベースへ。データ正本性とリアルタイム性が担保され、全社的AI展開の素地を整えてきました。
● 第二:安全性と信頼性確保
生成AIには偽の情報を事実のように提示する「ハルシネーション」や、悪意のあるプロンプト(指示)を実行させる「プロンプトインジェクション」といったリスクが伴います。こうしたリスクを抑制するために、金融庁ガイドラインや2025年5月施行の「AI推進法」、さらにはIPAが提供する「AIセーフティ評価ツール(OSS、2025年9月)」などが整備されています。各社ではこれらを活用しつつ、安全性を検証・確保できる体制づくりを意識しているところです。
● 第三:環境への配慮
生成AIの学習・推論は膨大な電力を消費し、CO?排出増につながります。従来各社が取組んで来た自社データセンターの縮小やクラウド/外部DCへの移行は、PUE改善や再エネ活用の観点からも必然の流れでした。今後は「AI利用の環境負荷」をKPIとして可視化・開示する姿勢が、社会的信頼の源泉になるとも考えられます。
そして、上記の取組を支えるのが“経営の覚悟”です。
新しいIT導入にリスクや不確実性はつきもの。だからこそ、リスクを直視しつつ前進する果敢な経営判断が必要です。AIを「効率化の道具」に留めるのか、「成長戦略の中核資源」にするのか、ここが分岐点になりそうです。
■AI活用力強化に向けて!
AI活用が急速に進むなかで、活用効果の差を生むのは「技術の有無」ではありません。基盤の柔軟性・安全性の担保・環境配慮という三本柱を固め、経営の覚悟で実装へ押し上げられるかどうかが分岐点です。
AI活用度合いの観点で、いま損保業界はRAG本格展開からエージェント活用へ舵を切る重要な節目にあります。保険会社も代理店も、単なる「デジタル化への追随」から一歩進み、安心・安全かつ持続可能なAI活用で新しい価値を提供できるかが、次の競争力の源泉となってきそうです。「AI活用力!」の本質を見極め、より一層の進化・深化に進んでいく事を楽しみにしています。
K System Planning
島田洋之