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保険の虫眼鏡(第50回)

 

代理店のおかれている歴史的岐路

 

 「保険の虫眼鏡」と題するこのコラムも、早いもので50回目を迎えます。保険を巡る様々な問題を「虫眼鏡」で観察するように解き明かしたいという思いで書き始めました。第1回は2016年4月で、直前に発生した熊本地震を取り上げています。それ以降、長い間、2週間に1回のペースで書いていましたが、このところは月1回になっています。このコラムをはじめ、アイエスネットワークとは色々なご縁があり、この7月からシニアフェローに就任しました。少しでも同社を支援させていただくことができればと思っています。今後とも、同社とともに本コラムにつきましても、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

1900年の保険業法施行

 

 わが国の保険の歴史を振り返るとき、今という時点はどのような位置付けにあるのだろうか。福沢諭吉が「西洋旅案内」で「災難請合の事(イ[ン]シュアランス)」の中で「火災請合」と「海上請合」を紹介したのは1867年のことである。その後、1879年の東京海上保険会社等、いくつかの保険会社の設立後、1900年に保険業法が施行されている。わが国における公的制度としての保険の始まりをここに見出すことができる。

 

規制の始まった1948年

 

 その後、保険業法は、1939年に大きく改正されている。そして、1948年の「保険募集の取締りに関する法律」と「損害保険料率算出団体に関する法律」が当時の保険業法を大きく補強している。代理店の一社専属制を軸とした生命保険事業における募集規制と主要な保険を全社同一にするという損害保険事業における商品規制が主軸として登場した。1900年、1939年に続く結節点としては1948年を上げることができる。

 

1996年の保険自由化

 

 この次は、自由化・規制緩和のうねりの中で行われた1996年の保険業法改正と1998年の金融システム改革法の制定である。ただし、この時は、保険会社経営に関する改革のみに留まり、代理店の担う保険募集に関する改革は先送りされた。

護送船団行政と揶揄された保険会社への厳しい規制が1998年に自由化され、それ以降、保険会社の経営がどれほど大きく変わったかは今さら説明を要しないだろう。商品・料率の自由化はもとより、持株会社による資源配分、海外事業への進出、介護等保険以外の事業への進出、ERM経営など、1998年の自由化以降の変化は、想像をはるかに超えるものだ。1948年から1998年までの制度的に無風であった50年間の後の20年間に、保険会社経営は劇的な大変化を遂げたのである。

 

募集における70年間の無風

 

一方、1998年の自由化の際に改革が先送りされた募集制度が変わるのは2016年になってからである。つまり、1948年以来、2016年の保険業法改正までの約70年間、変わることなく同じ制度が続いていたのである。これが、ついに変わることになった。これの代理店への影響はどの程度のものなのだろうか。それを予想する上で参考になるのは、50年間変わることのなかった保険会社経営がこの20年でどれほど大きく変わったかという事実である。今、間違いなく、代理店経営は大きな岐路にある。これより先、どの道に進むのか、歴史的にそれが問われているのである。

 

日本損害保険代理業協会アドバイザー

アイエスネットワーク シニアフェロー

栗山 泰史