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保険の虫眼鏡(第64回)

 

理想的な「自転車保険」の開発

 

 「自転車泥棒」というモノクロ映画がある。1948年に公開され、監督はヴィットリオ・デ・シーカ。第二次世界大戦後にイタリアで生じたネオレアリズモの代表作の一つである。失業中の父親がようやくにして広告貼りの仕事を得たにも拘わらず、仕事に必要な自転車を盗まれてしまい、その自転車を幼い息子と二人でローマの街を歩き回って探す悲しい物語である。

 かつて、自転車は高価なものであった。自転車保険が初めて世に出た時、賠償や傷害とのセット保険でありながらモノ保険として構成されたのは、そんな背景もあったのかもしれない。それが、その後の大量生産・大量消費社会の成熟とともに次第に安価なものに変わっていく。「ママチャリ」の登場である。そして、街中を大量の自転車が走るようになった。

 それと並行して生じたのがモータリゼーションの波である。圧倒的な存在感を占めるようになった自動車を前にして、「ママチャリ」は身を守るために歩道に通行の場を移していった。自動車から見てもその方がありがたかったので警察もそれを許した。こうして自転車の歩道通行は日常的な光景になった。

 

 そこに自転車の高性能化が加わった。マウンテンバイクがその典型である。自ずと歩道を走る自転車の速度が速まっていく。何年か前の事件だが、ピストと呼ばれるブレーキなしの競技用自転車で事故を起こすお笑い芸人も現れた。

 この頃から加害者である自転車搭乗者に高額の賠償金を課す判決が続出するようになった。主要な交通裁判所の話し合いを経て、裁判官が、自転車事故に自動車事故と同様の基準で賠償金を適用するようになったからである。こうなると、自転車に必要な保険は賠償責任保険ということになる。

 今、自転車は歩道から、もう一度車道に戻されようとしている。しかし、そう簡単に一度染みついた習慣はなくならない。そこで、個人賠償責任保険や簡易な自転車保険の付保が奨励されるとともに、いくつかの地域で自転車に関する強制的な賠償責任保険が制度的に導入されている。

 これが一つの結末となったように見えるのだが、本当にそれでよいのだろうか。例えば、個人で商売をやっている人が家の自転車を仕事で使えば、個人賠償責任保険では免責となる。このリスクをカバーするのは施設賠償責任保険である。子供の自転車に別の子供が乗って事故を起こした場合、乗っていた子供の親が個人賠償責任保険を付けていなければならない。賠償事故の処理は自動車事故と同等の難しさがあるが、示談代行のない保険の場合、誰がそれを担うのか。また、金融庁の監督指針でいう「重複補償」を避けるための措置も必要になるだろう。

 

 こうした様々な問題を解決する一つの方策は自転車保険を自動車保険のように作り替えることである。すなわち、自転車単位の保険にすることだ。さらにいえば、これに伴って個人賠償責任保険や施設賠償責任保険で自転車事故を免責にすることも必要になる。それらの保険で自動車事故が免責になっているのと同様に。

 

 これが本質であるにも拘わらず、今のままでいくしかないという判断がある。なぜなら、全体としてのリスクが小さいために、純率に比べ付加率のウエイトが高く、単独の保険としての構成が難しいからである。しかし、今やInsurTechの時代である。モバイルやネットの活用で少額の保険料でも多くの人が付保することが可能な自転車保険の開発ができるのではないだろうか。自転車保険に関しては、自治体等の保険のアマチュアに委ねるのではなく、保険のプロである保険事業者がもっと深く関与すべきと感じるのである。

 

日本損害保険代理業協会アドバイザー

アイエスネットワーク シニアフェロー

栗山 泰史