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保険の虫眼鏡(第7回)

 

「保険ブローカー」が制度として導入された頃

 

 「保険仲立人」というよりも「保険ブローカー」という方が業界人にはなじみのある言葉なのではないだろうか。アメリカやイギリスにおいて保険販売の主役である保険ブローカーは、わが国においては決して大きな存在感を示していない。2014年度における保険料の扱い高をみると、代理店扱91.4%、直扱8.1%に対して、保険ブローカーの扱いは0.5%、保険料実額にして456億円に留まっている。

 

 元々、わが国に存在しなかった保険ブローカーが制度として認められたのは1996年4月の保険業法改正によってである。この時の法改正は1939年(昭和14年)以来の抜本的な改正で、保険審議会の場で保険事業全般を総合的に鳥瞰しながら有識者による議論が行われた。議論においては「利用者利便性」「規制緩和」「国際性」の3つの視点が掲げられ、その後の保険自由化につながる様々な制度改革が示された。「保険仲立人制度」はそうした制度の一つとして新規に導入が検討されたものであった。

 しかし、審議会の場では、「中立的な立場から利用者にもっともふさわしい商品をアドバイスすることが期待される」とされる一方で、「既に乗合代理店がブローカーに近い機能を有している」とか、「募集制度は各国の歴史、風土に根差したものであり、わが国においてはブローカーの活躍の余地は限られているのではないか」という消極的な意見も出されていた。

 そして、利用者保護の観点から、賠償資力の確保(最低4千万円最高8億円の供託)、顧客から求められた場合の手数料の開示、誠実義務(ベストアドバイス義務)の法定、代理店との兼営禁止など、代理店とは異なる様々な規制が設けられることになった。こうしたことに加え、資格認定試験の法定によって代理店に比べると非常に難しいレベルの試験が行われることになった。実証性はないが、制度新設から20年が過ぎた現在でも保険ブローカーが40社程度に留まっている事実は、このような規制の厳しさがもたらしたものといえるのかもしれない。

 

こうしたことの背景には、想像の域を出ないが、当時の監督官庁である大蔵省としての一定の躊躇があったのではないだろうか。わが国においては、当時でもまだ、戦後の闇市ブローカーや金融ブローカーなどブローカーという存在に対する国民の忌避感があった。保険ブローカーは保険会社の代理人ではないから、大蔵省から見た場合、代理店のように保険会社を通じた間接的な監督を行うことはできない。どんなに小さいものであっても行政の直接監督下に置くことが必要になる。不祥事に関して、当事者よりも監督者である行政に対してより厳しい目が向けられるという「親方日の丸」の時代背景の中で、ガチガチの規制が保険ブローカーに対して適用されたのではないだろうか。

 

今般の保険業法改正で、乗合代理店に対する規制が強化される一方、保険ブローカーについては、逆に規制が緩和されることになった。そして、その動きはさらに加速する方向にある。ついにこの国において保険ブローカーが真に市民権を得る第一歩が始まったと捉えるべきであろう。

次回以降、この問題について、さらに掘り下げて記してみたい。

 

日本損害保険代理業協会アドバイザー

栗山 泰史