保険の虫眼鏡(第111回)
「保険金支払い漏れ事件」の背景

 日米保険協議について書き続けています。今回で11回目になりますが、もう
しばらくお付き合いいただきたく、お願い申し上げます。

一直線につながるような因果関係

 これまで、次のようなことを記してきました。
・グローバルな自由化・規制緩和の動きの中で、国内において保険業法の改正
 が進んだこと
・これにアメリカが着目し、日米包括経済協議の優先3分野の一つとして保険
 が取り上げられ、日米保険協議が行われたこと
・その中でアメリカ側の要求としてリスク細分型自動車保険が登場し、これの
 延長線上で料率算定化制度における「使用義務」が廃止されたこと
・各社は、自由化の中での競争に勝ち抜くためにローコストオペレーションが
 必須になり、募集における「二重構造問題」に焦点が当たったこと(これが
 現在の代理店手数料問題の出発点)
・究極のローコストオペレーションの形として損保業界は合併・統合による大
 再編に突入し、現在の3メガ損保につながったこと
・一方で、日米間の動きによって独禁法の厳格化が進み、機械保険連盟事件を
 契機として、業界全体での共同行為の多くが廃止または見直しされたこと
・その結果、商品・料率はもとより、システムや事務処理、代理店対応等の募
 集面での規定等、ほぼ全分野での各社の個別化、差別化が進み、競争はさら
 に激しいものになっていったこと
 
 全体を鳥瞰しますと、損保業界における大きな動きが、一直線につながるよ
うな因果関係を持って進んできたことが分かると思います。そして、その中心
に位置付けられるのが日米保険協議とこれによる算定会制度の改定であったわ
けです。

特約による商品のガラパゴス化

 ここでもう一つ、日米保険協議とは直接の関係はありませんが、保険自由化
の流れの中で生じた大事件について触れたいと思います。それは「保険金支払
い漏れ事件」です。自由化の当初、直接の価格競争ではなく、特約を駆使した
商品競争という間接的な価格競争が生じました。いわば「特約を付けて補償を
増やすけれど保険料はあまり上げません」というような動きです。この流れは、
損保各社の再編以降も続き、競争の一層の激化の中で、各社の商品は、新たな
特約の付帯等によってどんどん難しく複雑なものになりました。かつての算定
会制度の下での商品の画一性から保険会社は解放され、どんどん個別化の度合
いを増すことになったわけです。
 特約を駆使した競争は他社商品との差別化という点で競争戦略に適うもので、
手厚くきめ細かな独自の補償の提供によって一定の利便性を消費者にもたらし
たという側面がありました。しかし全体として見た場合、それまで画一的な商
品しか知らなかった消費者は、商品の複雑化の中で自らの購入した保険の内容
が理解できず、販売する方も昔ながらの画一性を前提としたやり方であったた
め、むしろマイナスの側面の方が大きくなりました。結果、保険契約者から必
要な保険金の請求がなされず、請求がないから保険会社は支払うことができな
いという事実が大量に生じました。これが2005年頃に起こった保険金支払い漏
れ事件の典型的な中身で、当時、「特約による商品のガラパゴス化」が事件の
原因として指摘されました。

保険契約者と保険会社との間の「情報の非対称性」

 商品のガラパゴス化とともに保険金支払い漏れ事件の原因として挙げるべき
ものとして、保険契約者と保険会社との間の「情報の非対称性」があります。
高度化・複雑化した商品やサービスの場合、供給者である企業と需要者である
消費者の間に生まれる情報の質と量の圧倒的な差、これが「情報の非対称性」
です。元々、保険における「情報の非対称性」は保険契約者しか知りえない事
実の存在によって保険会社に損失が生じる逆選択の説明の際に用いられてきま
した。しかし、保険金支払い漏れ事件においては、これによって消費者の不利
益が生じたと理解すべきです。
 かつての大蔵省による厳しい規制の時代、行政による「商品認可」や算定会
制度による「画一性」によって、消費者は自ら保険の内容を理解する必要がな
かったといってよいでしょう。こうして消費者は長い間、何かあった際には保
険会社や保険代理店がすべて対応してくれるものと信じてきました。そして、
保険会社や保険代理店もまた「ここにハンコを押してもらえば、後はやってお
きますから大丈夫です」ですませてきました。
 「相手をまるで幼児のように扱ってきたわけだから、手とり足とり世話をす
る必要がある。だから保険金の請求がなく、本来、保険会社として対応のしよ
うがないような場合でも支払い漏れの責任が生じた。これを正しい関係に戻す
には相手のレベルを上げるしかない。相手が幼児ではなく中学生であれば、
『保険金の請求は自己責任だ』と突き放すことができるようになる。だから保
険契約者の保険についての理解のレベルを上げることが大切だ。」
 保険金支払い漏れ事件をこう解説されたのは、ほくと総合法律事務所の滝本
豊水弁護士で、消費者と保険会社の間に横たわる情報の非対称性に関する本質
を見事に言い表した言葉だと思います。
 この事件によって何社もが金融庁によって「業務停止命令」という厳しい処
分を受けました。筆者もその渦中に営業部長の役職にありましたが、荷物満載
のトラックが急ブレーキをかけて停止し、そのために荷台からバラバラと荷物
が転げ落ちるがなす術がないというような事態を経験しました。確かに保険会
社の意識改革の徹底を図るという点で業務停止という厳しい処分に意味はあり
ましたが、保険契約者への影響を考えると功罪相半ばという感覚があります。

保険業法改正による保険募集制度改革

 保険金支払い漏れ事件を踏まえて、保険契約者の保険についての理解のレベ
ルを上げることが必要になり、1998年の保険業法改正の際に先送りされた保険
募集制度改革が動き始めました。金融審議会に「保険商品・サービスの提供等
の在り方に関するワーキンググループ」が設置され、これが2013年6月11日に
公表した「新しい保険商品・サービス及び募集ルールのあり方について」 を
ベースにして、2016年5月29日、改正保険業法が施行されました。
 これによって、意向把握義務、情報提供義務、意向確認義務が保険募集人の
義務として法定されることになりました。また、業界における自主的な対応と
して、約款文言の簡素化や様々なガイドラインの導入による一定程度の標準化
が進むことになりました。これらを通じて、保険契約者の保険についての理解
のレベルを上げることや商品のガラパゴス化の除去がはかられることになった
わけです。
 さらに、損害調査部門に多くの人員が配置され、保険契約者の知識や記憶に
頼らずに保険金の支払い漏れを最小化するために多額のシステム投資が行われ
ました。しかし、こうした人的・物的投資の増大は、自由化以降のローコスト
オペレーションによって一貫して低下傾向を辿ってきた各社の事業費率を大き
く高めることになりました。しかも、これに、当時の自動車保険の保険料伸び
率の鈍化と損害率の悪化、その後に続く自然災害に関する保険金支払いの増大、
2008年のリーマンショック等が重なり、損保各社は、再度、収益性向上のため
の抜本的な戦略の見直しが必要になっていきます。この結果、今の3メガにつ
ながる第二次の業界再編が生じることになります。

日本損害保険代理業協会 アドバイザー
アイエスネットワーク シニアフェロー
栗山 泰史