保険の虫眼鏡(第110回)
「保険自由化」の下での激しい競争

 リスク細分型自動車保険について記してきました。今の時代において、損保
各社の商品開発競争の中で、この言葉はもはや死語になっているのかもしれま
せん。しかし、当時の状況の中では、これが料率算定会制度を突き動かす大き
な起爆剤になったわけです。

金融システム改革法の成立

 1996年12月、「94年合意」の補足的措置の位置付けで「96年合意」が成立し
ました。その内容は、「第三分野の激変緩和措置の撤廃の条件として、①リス
ク細分型自動車保険の認可、②火災保険付加率アドバイザリー制度の拡大、③
届出制種目の拡大、④算定会の料率使用義務廃止、⑤差別化された商品の標準
処理期間内認可を実現し、この5条件が満たされた後2年半後に激変緩和措置
は終了」というものでした。
 そして、1996年4月に改正された保険業法は、損害保険料率算出団体に関す
る法律の改正を含めた再度の改正により、1998年12月に「金融システム改革法」
の一部として成立することになりました。この法律は、「フリー・フェア・グ
ローバル」を改革の理念として掲げ、橋本龍太郎政権の下で、「金融ビッグバ
ン」と称された改革を実現するものでした。
 具体的には、証券取引法、証券投資信託法、銀行法、保険業法等を一体的・
総合的に改正(銀証保三位一体の改革)するもので、当時の大蔵省によれば、
次のように主旨が述べられています。
「国民に、よりよい資産運用と資金調達の道を提供するため、ニューヨーク・
ロンドンと比肩しうる、自由で公正な金融システムを構築することを目的とし
て、金融の各業態を越えた総合的な改革を一括して行う。」
 失われた30年といわれる時の流れの中で、わが国の力は大きく衰えましたが、
当時は「ニューヨーク・ロンドンと比肩しうる」という言葉が抵抗なく世の中
に受け入れられていたわけです。
 ここで、しばらくの間、日米保険協議を離れて、保険自由化後に損保業界に
生じた動きを簡単に見ていきたいと思います。

保険自由化の下での価格競争

 「金融ビッグバン」の下での保険自由化によって、①算定会制度の改革を中
心とする商品・料率の自由化、②生損保の相互参入等業態間の相互乗り入れ、
③保険会社の破綻を想定した各種の制度整備が行われました。一方で、保険募
集に関しては保険仲立人制度が創設されたものの、全体としての改革は先送り
され、保険募集の取締に関する法律(募取法)の一部のみを改正して、その全
体を丸ごと改正保険業法の中に入れ込む形で収束しました。保険普及のために
は、金融商品のような募集改革を行うのは早すぎるという判断があったからで
す。ちなみに、保険募集制度の改革は2016年の保険業法改正によって実現する
ことになります。
 保険の自由化の進展の中で、まず動き始めたのが、商品開発および料率競争
の激化でした。損保各社はそれまでの規制時代、算定会制度の下で主要な保険
種目について全社が同一商品を同一価格で販売せねばならない旨が法律で義務
化されていました。これが、保険業法の改正によって、同一商品を同一価格で
売れば独占禁止法違反という形に180度変化したわけです。
 これの適用に際しては、法の許す2年間の激変緩和期間が存在しましたが、
このインパクトは限りなく大きいものがあり、それまでせき止められていた水
が堤防の崩壊により一気に溢れ出すという感じの変化が生じました。事実上、
激変緩和期間は活用される間もなく、異なる商品を異なる価格で販売する流れ
が、特に自動車保険を中心に強まっていきました。
 ただし、損保各社はともに特約による担保範囲の拡大を行うことで各社各様
の特色を出すことに注力する一方、これに伴う保険料の引き上げは最小限に留
めるという戦略を採りました。つまり、表面的には直接的な価格競争を回避す
る形での間接的な価格競争に突入していったわけです。ちなみに、これの突破
口を切り開いたのが東京海上の新商品TAPでした。
 これに対し、日米保険協議の結果、新たに参入した外資系を中心とする損保
は、通販という新たな募集形態を使って、「既存の保険に比べて保険料が○割
安い」という大量の宣伝を前面に出し、直接的な価格競争によって既存損保に
挑んできました

ローコストオペレーションの下での保険募集改革

 価格競争の激化によって、損保各社はそれに耐えるためのローコストオペレ
ーションが大きな経営課題となりました。そして、これを一層促進したのが株
主重視の考え方です。世の中全体の流れとしてコーポレートガバナンス、ディ
スクロージャー、アカウンタビリティ等、企業のステークホルダーに対する責
任が問われるようになり、中でも株主への責任が強調される時代になっていま
した。この結果、ローコストオペレーションによる利益の向上は株価対策の観
点から極めて重要になりました。
 この影響を大きく受けたのが保険募集でした。制度的には改革が先送りされ
ましたが、損保各社がローコストオペレーションを実行する過程で最も重視し
たのが保険募集における二重構造問題でした。具体的には、本来、手数料の代
償として代理店が行うべき様々な顧客対応業務を保険会社の営業社員が担うこ
とでコストが二重に費やされているのではないかということです。
 この問題に焦点が当たった結果、損保各社が抱いた問題意識は「何としても
代理店の能力を向上させて効率化を図らねば、他社との競争に勝てず、生保等
新たな分野への参入もままならず、そして、株主の期待する利益を上げること
ができない」というものでした。代理店の能力向上の具体的な内容は、顧客対
応、業務知識、システム投資等でしたが、これらの能力向上を実現するために
代理店の大型化が必然の流れとなっていきました。
 そして、今に至るまで様々な議論が生じている手数料ポイント制度をベース
にする代理店手数料体系の改定が行われました。これを代理店の能力向上のイ
ンセンティブとするために、「規模」と「増収」による大型化が重要な要素と
され、これに営業推進の観点から各社各様の施策が組み込まれることになって、
現在に至っています。

さらなる競争の激化

 ローコストオペレーションが進展する中で必然的に生じたのが、損保各社に
よる規模の利益の追求であり、その具体化が2001年4月以降に集中した業界再
編の動きでした。各社は顧客基盤、募集網、企業系列、経営陣の人間関係等、
様々な要素によって、競い合うように合併していきました。
 その一方、1995年の機械保険連盟事件を契機として、業界全体での共同行為
は独占禁止法の適用をにらんで多くが廃止されることとなりました。その結果、
商品・料率はもとより、システムや事務処理、代理店対応等の募集面での規定
等、ほぼ全分野での各社の個別化、差別化が進み、そして、競争はさらに激し
いものになっていきました。

日本損害保険代理業協会 アドバイザー
アイエスネットワーク シニアフェロー
栗山 泰史